ピノキオ10話-この上ない名品ドラマ、インパクトあるパクシネのキレギ毒舌 YES!
20部作の半分である10話が終わった今、<ピノキオ> は偉大な旅を力強く継続している。面白味と、意味を失うことなく適切に調和して進める手際が職人の香りを感じさせるという点で、この作品は名品と言っても過言ではない。キレギにキレギと叫ぶシーンは痛快なほどだった。
ファクトとインパクト ;
13年前キレギ、今でもキレギと言うチェイナの攻撃、我々のマスコミを語る
母の三値舌は、仲睦まじかったある家族を崩壊させ、彼らは復讐を誓って自分の人生を捨てなければならなかった。幸せな人生を追求しなければならなかった兄弟は、復讐の為に自分のすべての幸福を諦めなければならなかった。
尊敬して愛した、そして彼女が買ってくれた靴1つにも感激して幸せに感じたイナは、ソン部長の醜悪な過去を知るようになった後、衝撃を受けるしかなかった。ジャーナリストとしてしてはならない行動をした彼女を、これ以上尊敬することも愛することもできない状況になったからだ。そしてその過去の映像の中に収められていたスニーカーの片方は、ダルポがまさに英雄になったジェミョンの実の弟のハミョンということを教えてくれた証拠だった。
屋上でダルポがハミョンという事実を知って、申し訳ないと言って泣いたイナ。彼女はそこでそのすべての真実を確認することになる。母に対する穢れと怒りは大きくなったが、本当の名前を見つけたハミョンに対する愛はより一層深くなった。この幸福の為に、ハミョンは選択をしなければならなかった。だから彼は英雄になった兄の真実を沈黙し、みんなが幸せかもしれないという束の間の錯覚を満喫していた。
兄が英雄として優遇されて幸せになる権利も存在するとして、自分の疑いをしまいこんだハミョンと、そんな彼を信じてしばらく留保しろとのキャップのアドバイスは、結果的にダルポが真の記者の道を歩いてキハミョンという名前を公式に取り戻すきっかけを用意することになる。
財閥の息子ながらもイナによって記者にまでなってしまったボムジョの告白で、母が直接イナの父を訪ねるシーンで再びこのドラマがロマンチックコメディという事実を悟らせる。もちろん複合ジャンルとしての価値を追求しているが、基本的にロコが中心を捉えているという点で、2人の出会いで作られた既存方式のひねりは楽しみとして近づいた。コミカルを担当する2人の出会いは、それ自体だけでも視聴者たちを幸せにしてくれるからだ。
ダルポが沈黙する間、ジェミョンを疑いのまなざしで見つめ始めた人物は、13年前ソンチャオク部長と一緒に取材を担当した撮影チームのイジュホ記者だった。誰よりジェミョンがソン部長に復讐するしかないと確信している人物がイ記者だった。13年前の単独インタビューを終わらせた後にも、ジェミョンはソン部長の利己的な偏見によって怒り、殺してやるという言葉を言った。
母と弟が自殺した後 現場に現れたジェミョンは、ソン部長に復讐を誓ったりもした。13年が過ぎた今、彼は英雄になって帰ってきたし、そうやって英雄になったジェミョンは再びソン部長とイナを狙っていた。誰より注視したこの記者は、ボムジョと一緒にソン部長の講演会がある日、ジェミョンを追跡し始めた。事故を未然に防止しようとの趣旨だった。
ややぎこちないこの2人の尾行は簡単にバレることになり、彼らを締め出したジェミョンは静かで隠密にソンチャオク部長の講演会の場を占めて見守ることになる。'ファクトとインパクト' をテーマに、最近株を上げているMSCの成功について話しているソン部長は、自信満々で堂々としていた。
ソン部長の登場で突然2位に落ちたYGNも、やはりこっそりと潜入するように現場に参加した。果たしてどんな方法で彼らはそのような成功を収められたのかに対する気がかりは自然なことだ。到底越えることができないと見なされた壁を越えて、一気に公告した地位を固めた方法を彼らも知りたかったのだ。
ファクトをファクトそのままで表す記事では、大衆の関心を引きつけることができないということを事例を挙げて説明するソン部長は、大衆の心理をよく利用していた。ファクトにインパクトを与えることによって関心を引いて、差別化された記事は当然注目を浴びるしかないということを強調していた。
みんなが事実をそのまま報道する状況で、逆の発想でインパクトを与えた記事は、ファクトに触らないながらも大衆の関心を引きつけることができるという点で、成功要因として価値を見せてくれた。完璧に見えたソン部長の講演会が揺れ始めたのは質疑応答の時だった。
露骨にダルポを卑下する (もちろんこの事実を知っているダルポとイナ、ソン部長に限定されているが) 発言を聞いて、イナが出ることになる。母のような記者になりたかったが、真実を知った後、彼女は母のような記者にはならないつもりだという確固たる信念が生まれた。
過去ダルポ自身が番組に出演して自らバカではないという事実を証明した瞬間、イナは放送記者になるという夢を持った。母に対する漠然とした憧れと冷たく捨てた母に対する不満が愛憎になってしまった状況で、イナは母のような放送記者を夢見るようにした最も大きな動力はまさにダルポだった。
ダルポが自分の為に我慢している姿をこれ以上見ることができなかったイナは、13年前の事件を中心に取り上げてソン部長を攻撃し始める。自分の娘ながらもイナについてよく知らなかったソン部長は、想像もできないほど強力な攻撃をするイナによって言葉を失ってしまう。
"人々はピノキオのように記者の言葉も真実だと信じます。ピノキオも記者も自分の言葉が他人の言葉より恐ろしいことを知るべきでした。その軽率さがある家族をたたき壊したんです"
"当然ソン記者さんもこの悲劇に責任があります。そんなことを体験してもインパクト云々とおっしゃるのを見ると、ソン記者さんは13年前と同じキレギですね"
インパクトの為にファクトに見て見ぬふりをしたことがあるかとのイナの質問に、ソン部長は断固としてないと言う。しかしすでに真実を知っていたイナは、過去ダルポが自分に言った言葉をソン部長に返した。ピノキオと記者は真実だけを話すと信じている大衆。そんな大衆の信頼が盲信につながる瞬間、問題は発生するしかない。
嘘をつくことができないピノキオ症候群の患者が、自分の勘違いが偽りでないと考える瞬間、誤った真実も本当だと信じるしかない盲点がある。事実を報道するという記者たちも、やはりインパクトの為にファクトを疎かにすれば、これは最悪の事態につながるしかないのだ。
現在私たちの社会のマスコミは、ファクトよりはインパクトにより一層耳を傾ける姿だ。インパクトだけが乱舞するマスコミによって、大衆は真実が何なのかを自ら探す不合理な経験をするしかないのが現実だ。ファクトを利用したインパクトだけが主人公になってしまった私たちの時代、マスコミは劇中のイナが叫ぶようにキレギその以上でも以下でもないのだ。
一番注目されているソン部長に、大胆に13年前も今も同じようにキレギだと叫ぶイナの覇気はだから嬉しかった。すべてがキレギであってもこれを指摘して反省するジャーナリストの姿は探すのは難く、自らもキレギに染まっていく現実の中で、記者の役割はより一層大切な価値で近づく。マスコミが正しく立ってこそ、国が正しく立つことができる。どんな権力の前でも真実を守り、明らかにできるマスコミがある国は腐敗せずに元気になり得る。
イナの発言の中で自分の家族だけが知っている内容を言った彼女に、どうやってその内容を知るようになったのかと脅すジェミョン。そしてそんなジェミョンを制圧して、自分がまさに兄の実の弟のハミョンだと明らかにして涙を流すダルポの姿は弱々しかった。
13年も探し歩いたが、記者という職業によって自ら自分を明らかにできなかった弟 ダルポのカミングアウトは、悲しくて嬉しく近づいた。彼のこのような自分宣言は、結局真の記者としての歩みを始めるという意志の表明だったからだ。半分を過ぎて、インターンというレッテルを切り離して多事多難だった2014年を迎える <ピノキオ> の記者たちが、果たして私たちにどのような話を伝えるのか次の話が待たれる。
週末にしっかり復習をすると、その都度新たな収穫を得られるからやめられない
イナがチャオクに吐き出したあのシーンはやっぱり痛快でスッキリ
重いシーンの合間に笑いのスポットも散りばめられてるから、それも楽しくていいわぁ